浪人が歩いていた。いや、浪人だった、というべきか。
侍という身分が無くなった以上、浪人もいなくなったはずだった。
しかしかつての浪人のように、男は太刀を腰に差していた。
すれ違う者たちが太刀を見ているのがわかった。しかし男は気にした様子もない。
俺は侍だ。腰の刀がそう言っていた。
維新前、男は町の小さな一刀流系の剣術道場をやっていた。
今は門弟もおらず、一人で稽古する毎日だった。
それでも侍をやめる気はなかった。
世の中が変わっても、変えてはいけないものがあるはずだ。
突然、目の前に男が風のように現れた。若い男だ。
長い髪を後ろで束ね、着流しを着ている。
彼の右手には、肩の高さほどの細い棒が握られていた。
「馬場幸之助だな」
着流しの若い男は静かに言った。
「そうだが、おぬしは?」
「俺は、立花風馬という」
「何の用だ」
「少し顔を貸してくれないか」
馬場幸之助は、立花風馬と名乗った相手の男をじっと見た。
平然としており、殺気などはない。
「わかった」
幸之助がそういうと、風馬はくるりと振り返り、さっさと歩き出した。
「・・・」
刀を持った相手に背中をさらすとは、警戒心がなさすぎる。
いっそこの場で抜き打ちしようかと考えたとき、
「やめときなよ」
風馬がそう言った。
「単刀直入にいう。その腰の刀を渡してくれ」
近くの広い河原までくると、風馬は振り返って言った。
「なぜ?」
意外な言葉を聞いた幸之助は、思わず訊ねた。
「今は刀を持ち歩くことは禁じられている」
「廃刀令は知っている。しかし刀が無ければ侍ではない。おれは侍だ」
「もう侍という身分はない」
「侍は身分ではない。生き方だ。俺自身だ」
「持ち歩くなと言っている。警視庁からも警告があったはずだ」
「なんだと。貴様いったい。。」
物盗りなどではない。とすると。。
「渡すのか渡さないのか、どうなんだ?」
「渡すわけがなかろう」
「では力ずくでもらっていくが、いいな?」
そう言って風馬は、手に持った棒の棒先を幸之助に向けた。
「力ずくで?その木の棒でか?」
幸之助はふっと笑った。
「取れるものなら取ってみろ」
斬り捨てる。愛刀を奪われるぐらいなら。
この男を斬ったら、急いで家に戻って荷物をまとめ、亰を出よう。
幸之助は最近、全国各地で小規模ながら旧士族の反乱がおきているという噂を聞いていた。
それに加わるつもりだ。
この国に侍は絶対に必要だ。
近代化というと聞こえはいいが、新政府が行おうとしているのは要するに、 我々から武器を奪い、自分たちの都合のいいように扱うためだろう。
そして西洋文明とやらをやたらと尊重し、日ノ本の伝統をないがしろにしようとしている。
そもそも、なぜ洋服などを着る必要があるのか。日本人には日本人に合った服装がある。
自国の文化を大事にしないものが、諸外国に尊敬されるものか。
「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂・・・」
尊敬する吉田松陰の辞世の句をつぶやき、周りを見渡し人気のないことを確認すると、幸之助は静かに太刀を抜いた。