古流を習って、長い間その意味がわからなかったのが、寝屋の内という形である。
打太刀に対して正座で待ち、太刀と杖を合わせ、杖が目間を攻め、くるぶしを打つという形だ。
寝屋の内というぐらいなので、寝込みを襲われるとか、そういう際の稽古なのかと考えていた。
しかし、かなり無理があるようにみえる型であり、剣術家などが見ればやらせだと思うだろう。
現代と異なり、昔は正座が普通だったというのはあると思う。
しかしそれでも、座ったままで刀を持った相手を防げるはずがない、と考えるのが普通だ。
示現流よろしく、上段から何度も太刀を振り下ろされたらとても防げるとは思えない。
なぜこのような、一見意味のなさそうな型を、神道夢想流はわざわざ稽古するのか。
ところが最近、寝屋の内の意味がようやく理解できた気がするのだ。
意味がないどころか、神道夢想流杖術の習得に必須な形であるという考えに変わった。
そもそも、意味のない形が、表の一二本の一つにあるはずがない。
きっかけとなったのは、居合や剣術で高名な黒田鉄山先生の著書にある言葉である。
「居合を速く抜けるようになるには、ひたすら座構えを取ることです」
本を買ってから十年以上経っただろうか。
この言葉の意味がようやくわかった時、寝屋の内の疑問も氷解した。
やはり名人の言葉は軽く考えるべきではない、と思った。